南西部エチオピア〜多様な民族文化の息吹に触れる
 2002年夏、私はふたたびエチオピアを旅した。 前回は北部の高原地方への旅だったが、今回は南西部のケニア国境に向けて広がるサバンナ地帯である。首都アディスアベバを始め、エチオピアの主要都市はほとんど北部の高原地方に集中している。カラッとした快適な気候で、マラリア蚊もいなく、居住に適しているからである。しかし、今回旅した南西部は、「the last people of Africa」と言われる部族の住む地帯であった。

 私たちはまずバンコク経由でアディスアベバに到着し、そこからアフリカ大地溝帯(エチオピアの北部と南西部を隔てている)を超えて南西部へと向かった。アディスアベバでは快適なホテルに泊まれたが、南西部ではそうはいかない。旅程のほとんどが、ランドクルーザーに積み込んだテントと寝袋になる。

 大地溝帯に沿って南下し、まずは水源の町アルバミンチへ。 「アフリカ大陸の裂け目」である大地溝帯付近には、多くの深い湖や沼がある。そのため、野生生物の宝庫となっており、淡水漁業も盛んである。アディスアベバから510キロもの長距離移動をするうち、私たちは車窓から見える雄大な湖沼群に目を奪われた。

 アルバミンチでは、「ネッチ・サール国立公園」を訪れた。アバヤ湖とチャーモ湖という2つの湖の間に位 置するこの公園は、極彩色の水鳥や8メートルを超すワニ、シマウマ、カバなどの野性動物を間近に見ることができる。 しかし、公園内をゲームドライブしても象やキリンといった大型獣に遭遇することはほとんどない。南西部のほとんどの人は銃を持っている。それもカラシニコフといった自動小銃である。数年前の内戦の時期に出回ったもので、牛7頭で銃1丁が手に入るそうである。飢餓が蔓延した時期に、これらの野獣はほとんど食べ尽くされてしまったようである。もちろん、大型獣は禁猟であり、レンジャーが見張っているが、この広大な地域では意味をなさない。

 このアルバミンチまではホテルに泊まったが、そこから先はいよいよテント生活である。
アルバミンチから車でジンカ市へ。広大な「マゴ国立公園」への中継地点として知られる町だ。

 アメリカが「人種のるつぼ」と呼ばれるのに対し、エチオピアは「民族の博物館」と呼ばれる。エチオピア人の中には70もの部族があり、方言を含めれば100近くの異なる言語が使用されているのである。民族の博物館という異名を実感できるのはなんといってもマーケットである。周辺に住むさまざまな民族が、市場には集まってくるのだ。ガイドが「あの人は○○族、あの人は○○族」と教えてくれた。もっとも、私たち日本人には、そうした民族のちがいは言われなければわからない。

 ただ、ムルシ族の女性だけは、私たちにも一目で見分けられる。下唇に、「リップ・プレート」と呼ばれる陶板を入れているからだ。ムルシ族の村も訪問したが、最初はただ異様に見えたリップ・プレートの女性が、見慣れるにつれて美しく思えてきたのは不思議であった。しかし、このムルシ族は、部族の成員をすべてあつめても5000名くらいの滅びゆく部族なのである。

 マゴ国立公園をあとにした私たちは、車でサバンナを走ってカロ族の村を訪れ、その翌日にはさらにブメ族の村を訪問した。村といっても、それぞれ遠く離れている。カロ族の村があるカルチョからカンガテンにあるブメ族の村へ行くには、車で延々と走ったあとにボートでオモ川を渡らなければならない。狭い日本に住む私たちの感覚では推し量 れない広大さである。 カロ族の人々は、顔や身体にチョークで極彩色の装飾を施して暮らしている。また、ブメ族の人々も、色とりどりの首飾りをするなどして、着飾っている。体型もすらりとして引き締まっている人が多く、私たちの美的感覚からしても美しい。

 今回の旅の圧巻は、なんといってもトゥルミで偶然、出くわした成人儀式であった。 ハマル族の成人儀式は牛飛びの儀式である。儀式はまずハマル族の女の踊りから始まる。ブッシュの中の広場に数十頭の大きな角をもった牛が集められる。周囲をを踊りながらまわっているのは、牛の脂と赤い土で髪を固めた女たち。牛の脂を塗りたくった黒い皮膚が輝き、体を覆っているのは、ほんのちいさな山羊の皮である。そんな女ばかりが100名ちかくいるだろうか、甲高い声で歌を歌い、腕と足につけた鈴、足首の鉄の輪をチャッチャッと打ち鳴らしながら牛を囲んでいる。ときに踊りの輪から離れ、男の前にいくと、男は細い小枝で女の腕や背中を力任せに打つ。女の皮膚は破れ、血が噴き出る。すると血を流している女を押しのけるように次の女が現れて、同じように小枝で打たれるのである。よく見ると踊っている女たちのなかにも血を滴らせながら踊っている者が多勢いる。なかには泣きながらヒステリックに興奮状態になっている者もいた。牛もだんだん興奮してきて、動きが荒々しくなってきた。

 踊りが終わるといよいよ成人式の主人公の出番である。年齢は特に決まってはいないようであるが、17、8歳であろうか。皮ひもをつけただけの素裸の体に牛糞を塗られ、牛の前に立った青年は緊張して目がひきつっている。横一列に並べられた10頭の牛の背を4回飛ぶのであるが、牛は大きな角をもっており大変危険である。しかし、失敗は許されない。青年は助走をとって牛の背に飛び乗る。3回目に青年は牛と牛の間に足をはさみ危うく、失敗しかかったが、どうにか4回の挑戦を無事にやりとげた。まわりの観衆から、甲高い叫び声があがる。青年の顔にはじめて笑みが浮かんだ。そして誇らしげに手を小さく挙げた。青年は大人の仲間入りをしたのである。

 半月におよぶ南西部エチオピアの旅は、そうした多様な民族文化の息吹に触れる旅であった。ほかに、オモラテ市のゲルブ族、ウォイト近くのエルボレ族の人々などと接することができた。
ふたたびアフリカ大地溝帯に沿って北上し、アディスアベバに到着。久しぶりの入浴でゆったりとくつろぎながら、私は旅の中身を反芻していた。サバンナにテントを張っての宿泊、樹の下でのランチ……これもまた、生涯忘れられない旅の1つになったようである。

 そして、今回の旅の収穫の一つは、エルポレ族の村で撮った写真が2002年ナショナルジオグラフィック誌の海外優秀賞に入選したことであろうか。